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博多祇園山笠は2016年12月1日ユネスコ無形文化遺産に登録。

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博多祇園山笠の行事について

毎年山笠の行事がニュースなどで報じられ始まるのが6月初旬ですが、一年を通し当番町の役員達の活動が行われています。各流1月には「講」と呼ばれる役員の顔合わせを行い山笠の標題を決め人形師へ発注。4月には振興会による代表者会議で行事・費用・山笠の順番確認等が行われます。5月は手拭の発注や関係官庁への書類提出、山小屋の下検分が行われ、6月に入ると小屋入り・地鎮祭・山小屋の建設・棒洗い・棒締め・試し舁きと準備が進められ28日頃から飾り付け、そして7月1日博多祇園山笠の幕が開けます。ということでここでは5月からの本格的な準備と祭り日程を紹介します。

博多祇園山笠の行事日程

5月 人形づくり
博多人形師が腕によりをかけて製作。普段は粘土をこねて形を作るが山笠の人形は割竹で骨組みし、和紙を貼って整え顔料で色をつけ金襴の衣装で仕上げます。発注された標題に沿って下絵を描き本格的な作業に入りますが季節は梅雨で糊を多用する為天気が気がかりに。
6月上旬吉日 承天寺夏祈祷
博多祇園山笠発祥の地とされる承天寺にて準備が本格化した6月上旬の吉日、正装である長法被に身を包んだ振興会役員や各流の総務、櫛田神社の宮司も加わり一連の行事の無事と安全を祈願します。
6月上旬吉日 小屋入り
山台の材料や道具など必要な資材を並べて櫛田神社の神職にお祓い清めて貰います。御幣を振り清め邪気を祓い、山大工に流や当番町の役員関係者も長法被で参列し玉串を奉げて祈願します。
6月上旬吉日 地鎮祭
山小屋を建設する場所を櫛田神社の神職により祓い清めて貰います。山大工や人形師、流や当番町役員関係者も長法被で参列し無事に安全な奉納を祈願します。
6月上旬吉日 志賀海神社参拝(中洲流のみ)
中洲流では福岡市東区志賀島の志賀海神社にて祭りの安全祈願を行っています。箱崎宮のお汐井(真砂)は志賀島から運んでいることからそのお礼に参拝しているそうです。
6月中旬吉日 山小屋建設
地鎮祭で清められた場所に山小屋を建てます。市内のあちこちに小屋が建ち始めると博多の街に祭り雰囲気が漂い始めます。
6月中旬吉日 棒洗い
櫛田神社に納められていた6本の舁き棒を櫛田神社浜宮(博多区築港本町)に運び海水をかけ荒縄でこすり1年間の汚れを洗い落とします。八番山笠 上川端通は6月1日に棒洗いを行っています
6月中旬吉日 筆おろし
山台や差し札に筆師が書き物を行います。
6月中旬吉日 棒締め 試し舁き
山台を組み立て6本の舁き棒を取り付ける作業です。山台には1本のクギも使わず「おやし棒」と呼ばれる棒で「ボーしめた、ボーしめた」の掛け声と共に麻縄を締めあげ6本の舁き棒を固定します。棒締めが終わり素山が完成するとうまく固定されているか出来を確認するために「試し舁き」が行われます。
6月28~30日 飾り付け
6月28日山笠の飾り付けが解禁されます。舁き山は7月9日まで時間がありますが飾り山は7月1日の祭り開始と同時に一般公開されます。流の若手が飾り付ける場所まで上がり人形師が絵図や人形の目線を確認しながら指示を出し飾り付けて行きます。指示する時に「右、左」では戸惑うことが多く、昔から方向を「姪浜側へ」とか「箱崎側へ」と地名で右左を表現し指示します。
7月1日朝 役員お汐井とり
山笠運営を取り仕切る「流の役員」のみが各流ごと筥崎浜まで行って山笠期間中の安全や無事奉納を祈願します。
7月1日朝 注連おろし(辻祈祷)
祭りの初日に流や街単位でそれぞれの区域を清める行事。町の角々に注連縄を張り辻には竹笹御幣が立てられ、山笠期間中の安全を祈願します。「注連下ろし」と言われてますが流によっては「辻祈祷」とも呼ばれます。
7月1日朝 御神入れ
市内各所に建てられた山笠に神を招き入れる神事。商店街などに建てられた飾り山笠が先行され櫛田神社の神職がスケジュールに従い各山笠を回ります。流役員や関係者が参列し執り行われ、御神入れが終了すると山笠は一般公開されます。※舁き山の御神入れは7日頃に行なわれる事が多いです。
7月1日朝 飾り山笠一般公開
御神入れが終了し神が宿った飾り山笠は一般公開され14日の深夜まで福博の街を華麗に彩ります。15日早朝の追い山の前には全て解体されますが、櫛田神社に奉納される飾り山は1年間通して公開されています。
7月1日~上旬 舁き山飾り付け
飾り山の一般公開が始まると次は舁き山の飾り付けが始まり、人形師と山大工の指示に従い流の若手が飾り付けます。
7月1日夕方 当番町お汐井とり
その年の流の当番町が流ごとに筥崎浜まで行き、沈む夕日に向かい「二礼二拍手一礼」行事の安全祈願を行います。筥崎浜のお汐井(真砂)を升やテボ(竹製の小さなかご)に入れて持ち帰り、山笠期間中は清めのお汐井として身に振りかけ参加。9日の全町お汐井とりの安全確認や下見も兼ねています。
7月上旬 子供山笠
博多小学校では子供達に山を舁く楽しさを知って貰い舁き手の育成を目的に、前半に商店街を舁き廻り櫛田入りをやっています。大きさは約2/3サイズで重量は700㎏程あります。博多小の他に千代流と新天町の計3本の子供山笠あります。
7月9日夕方 お汐井とり
男衆が町単位で山小屋に集合し石堂橋から「お汐井道」を駆けて箱崎浜に向かいます(出発時間は流れごとに決められています)。午後6時から7時過ぎにかけて箱崎浜に到着、沈む夕日に「二礼二拍手一礼」山笠期間中の安全を祈願し浜でお汐井をとります。その後、箱崎宮と櫛田神社に参拝し山小屋に戻ります。往復で10km近く走るのは足ならしの意味もあります。
7月10日 献花献茶式 男野点茶会
櫛田神社拝殿にて献花(一晃流)献茶(南坊流)が振興会役員•宮総代役員などが出席のもと開催。巫女さんによる舞いも奉納され、野点に移ります。南坊流南坊会が世話人となり客人側に振興会正副会長・相談役・各流の総務が 締め込みと水法被の上に長法被をはおった正装で招かれ、一番山笠の子供達が世話役として参加します。野点(のだて)は千利休が博多で秀吉臨席のもとに考案したと言われており、それにならった行事です。
7月10日午後 流舁き
いよいよ舁き山が動き始め祭りも静から動へと移る最初の行事です。それぞれの流区域内を舁き廻り町の人達に今年の山笠をお披露目、舁き出し時刻は流ごとに異なりコースも年によって異なり細い路地まで舁き入れたりと、山笠が地域に深く根付いている事がわかります。また前年の山笠が終わって亡くなった功労者がいた場合「追善山」が行われ、遺族は自宅(店)前に祭壇を設け遺影や着用していた当番法被などを安置して山笠を待ち、山笠が到着し祭壇の正面に据えて黙祷し博多祝い唄を唱和して故人を偲びます。本来おめでたい席での唄ですが「あの人も山のぼせやったけん、喜んどるくさ」となるのです。
7月11日早朝 朝山
朝山は祝儀山とも呼ばれています。各流とも町の長老達を敬い夜明け前から若手が迎えに行き、長老は帷子に角帯姿で出席し酒・肴が振る舞われる。この日は長老の台上がりだけではなく杉壁の内側に当番町の子供達を乗せる事もあります。夜明けの行事のため人気のない町を舁き回り見物客など殆どいませんが、中洲には酔客がちらほらと。中州流では10日の流舁きで祝儀山を行っています。
7月11日午後 他流舁き
一日に二回山笠を動かすのはこの日だけで、流区域を出て他の流区域を舁き廻る事からこう呼ばれています。追い山・追い山ならしに向け「櫛田入り」の練習をする流れが多いです。
7月12日 追い山ならし(午後3時59分スタート)
文字通り追い山のリハーサルで七流が初めて勢揃いします。時刻とコースが1㎞短い事以外は追い山と同じで、土居通りに一番山笠から八番山笠が順に並び15時59分に大太鼓の合図で一番山笠がスタート以下5分毎に櫛田神社境内に立てられた清道旗を廻り博多の街を駆け抜け奈良屋町の廻り止めを目指します。櫛田入りと全コースのタイムが計測され、成績は流に持ち帰り15日の追い山に生かされる事になります。
7月13日 集団山見せ(午後3時30分スタート)
舁き山が商人の町:博多から城下町:福岡に入る唯一の行事で山笠をより多くの人にと福岡市の要請で昭和37年から始まりました。この行事の時だけは福岡市長・議員・地元・中央の著名人が台上がりを務め所要時間の計測もなく比較的和やかな雰囲気です。一番山笠が15時30分にスタートし以下5分毎にスタートします、コースは呉服町交差点から天神の福岡市役所まで約1.2Km、平成22年から集団山見せの帰路コースが市役所~博多リバレイン(800m)に変更されました。
7月14日午後 流舁き
追い山に向けて流区域内を舁いて廻る最後の調整と同時に慣れない舁き手にとって棒に肩を入れる最後のチャンスでもあります。追い山は真剣勝負のため慣れない舁き手はなかなか山笠につけません。直会のあとは仮眠を取り追い山に備えます。(東流と千代流はこの日の流舁きは行いません)
7月15日 追い山(午前4時59分スタート)
午前1時頃から櫛田神社前の土居通りに一番山、二番山、三番山と順番に据えられ緊張感が漂う中スタート時刻を待ちます。東の空が白み始めた4時59分、大太鼓の合図で一番山笠の櫛田入り!山笠は境内に飛び込み清道旗を廻り能舞台へ向かって山笠を据え博多祝い唄の大合唱(一番山笠のみ)唄い終わると山笠は再び動き出し勢いよく博多の街へ飛び出し須崎町の廻り止め(全コース5㎞)目指して駆け抜けます。二番山笠以降も5分おきにスタートし櫛田入り、全コースとタイム計測されます。1番になったからと言って報賞されるわけでも無く無事奉納できたという満足感それだけなんです。
7月15日 鎮めの能(全流櫛田入り終了後)
追い山の櫛田入りが終わって30分も経たない興奮が残る中に低い鼓の音、高い笛の音とともに謡いが流れ舞人が舞う。荒ぶる神を鎮める…喧騒のあとの静寂…古くは七流のうち一つの流が山笠の奉納を休んで務めていましたが明治末以降は福神流が担当、現在では神社の宮総代が担当している。
7月15日 山崩し(山解き)・引継ぎ
廻り止めに到着した山笠は、それぞれの流に戻り「博多祝い唄」を唄い「手一本」を入れて今年の山笠は無事終了となる。山笠は直ちに当番町によって解体…男衆の口が重い…疲れているせいではない…しゃべると涙が出そうになるのだ。飾り物は魔除けになると伝えられ人形などは校区の学校に寄贈したりしています。(西流と千代流では昔ながらの飾りを激しく奪い合う山崩し行っています)素山になった山笠は次の当番町に運ばれ解体、舁き棒は櫛田神社神庫に保管されます。 流の役員立会いで使った備品を確認し次の当番町へ引き継ぎ、当番町と次の当番町は他の町内を廻り「ありがとうございました」「来年よろしくお願いします」と挨拶を、当番町には無事終わった安堵感と涙が…次の当番町は大役が待つ緊張感が…この日の為に1年間頑張ってきた山のぼせ達が大粒の涙をこぼしながら握手し抱き合う。今年の達成感と来年まで山を舁けない「寂しさ」が入り混じり「感無量」の気持ちが最高潮に達する。博多の山のぼせはこの瞬間に立ち会う為に来年も山を舁く、最高の山笠を奉納する為に。

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